Jul 18, 2010

- Long Tweet 3 - 首とマレーシアと、時々池袋

こんにちは、Yujin.Hです。

久々のブログですね。
某AC内定者、I籐Tすくと話していたとおり、
ブログ書いてる時間がないです。笑

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実は一昨日ぐらいに首をやってしまいまして、
頚椎損傷の一歩手前ということで、
死にかけました。

単なる寝違えにも近いのですが、
それがかなり悪化した感じです。
左が向けません。
体ごと向いてしまいます。

そういう状況下で、OBOGガイドブックVol.6の打ち上げが昨日あったので、
行ってきました。

ダーツ&飲み→ボーリング→麻雀

首が死ぬかと思いました。笑
ボーリングとかもうなんでやったんだって感じです。
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そういえばもう来月からマレーシアです。
早いものでもう8月目前なんですね。

マレーシアには、Global Model UN in Kuala Lumpurの日本代表として、
大会に参加してきます。
期間は大体10日ぐらいでしょうか。

クアラルンプールは比較的都市的で、
まぁ安全とは言えませんが、もろもろ揃っているようです。
この前営業先でマレーシアに詳しい人がいたので聞いてみたら、
もうほんと日本なんて比にならない程、灼熱地獄らしいですね。

なんでそんなところでスーツ着なきゃならないんだ。。。

去年はGENEVAでの開催だったので、まだ涼しかったですね。
というか過ごしやすさ抜群によかったです。
物価はアホみたいに高かったけど。。

マレーシアではおみやげとか買ってる暇ないので、
おみやげ話で勘弁してください。
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そして年末には第22回模擬国連会議全日本大会に会議監督として
参加させていただきます。
場所はまたもや池袋。

今回はG20の会議監督ということで、
おもに経済・金融の議題を扱います。
まぁ主にギリシャ危機とかEMFとか元切り上げとかが焦点となるのでは。

全日本大会は本年で4年連続出場ということで、
完全にやってしまった感がありますね。

1年目:パレスチナ会議にて南ア
2年目:先住民会議にてメキシコ(Outstandingいただきました!)
3年目:事務局の副事務総長としててんやわんや
4年目:会議監督

全ての立場を経験していることになりますね。
かといって何か得るものがあったかと言われれば、
まぁ言外にはあるのでしょうが。

今年もラストまでゆっくりとマラソンしていきます。
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さて、3年生は就活ムードが段々と出てきて、
4年生は学校行かずに遊んでる人(笑)がいるらしいですが、
Yujin.Hに休み無しというわけで。

予想できた状況ですが、
テストがハンパなく不安です。笑

今週テストらしいよww

自助努力不可能なので、他者依存にシフトします。笑


とまぁこんな感じでYujin.Hは生きております。

またどこかでお会いしましょう。

Apr 29, 2010

- Long Tweet 2 - 学生団体に溺れるべからず ~慢心は何も生まない~

お久しぶりです。Yujin.Hです。
就職活動も落ち着き、就職活動よりも遥かに忙しく、楽しい毎日を送っております。


現在Yujin.Hは「スローガン株式会社」という会社でインターンをしております。
詳細は置いておいて、大まかに言うと営業をしているわけですが、

大学生気分が1%でも残っていると、
結果は出ません。

実際、私も学生団体的な気持ちが残っていたせいで、
2週間働いても、結果がついてきません。

いい意味での自責思考が今の私を満たしており、
また、その種は近い内に間違いなく芽吹くと考えています。

結果を出したいというモチベーションの源泉は人それぞれだと思います。
給料UPのためという方もいるでしょうし、
単純に成功・達成という感覚に陶酔したい方もいるでしょう。
もしくは尊敬するヒトや上司の方に褒めてもらいたいという方も。

私の場合は二つだけ。

非常に有難いことですが、先輩や上司の方が、少なからず期待をしてくださっている、
そしてそれに対して応えたいという、他者発生的な感情。

もう一つは、至極単純に、営業先の方・企業の方に、
双方納得できる形で喜んでもらいたいという、自己発生的な感情。


おそらく学生団体とかサークルとか、
はたまたNPOやその他の学外活動に勤しむ学生にとっては、
私も含め多少の慢心がある気がします。


他の学生と自分は違う。
僕、私はこんなにたくさんのことをやってきた。
だから社会に出てからも自分は活躍できる。


大学3年の春頃は、私もそんなことを心の底では思っていた気がします。
(図らずも私の所属している学生団体にはそういう方が多い気がしました。)
其の気持ちが薄れ始めたのが2009年夏、
ジュネーブで世界の多くの大学生と対話をした時でした。

世界の広さと小ささを痛感し、
また、自分の浅薄な思考・行動に気付き、
そして同時に、その時点ではどう仕様も無い危機感と焦燥を感じました。
また一方で、責任と使命を攫むことができました。

今ではヘタな慢心などなく、
ただ自己の精神的・能力的欠如を、臆すること無く正面から見据え、
その改善と発展にでき得る限りの最大限の努力を注入しています。

自信とは似ても似つかない慢心という気持ちは、
拭うことの困難な驕りを生み、
地球にたった一人取り残された少年のような耐え難い寂寥感のみを、
残滓として重く自分の心に住まわせます。

それが取り除かれて初めてスタートライン。


考える葦は、夜叉となるの海神となるのか。

仕事道具と別世界への本と少しのミーハーな心。
OBOGガイドブックと泉鏡花の海神別荘と1Q84を携え、
風邪治して明日からまた頑張ります。

では。

Apr 3, 2010

- Book 1 - 『ダーウィンの夢』


こんばんは。Yujin.Hです。
つい二日前に読み始めた本を、やっと読み終えました。
電車の中でした読む時間なかったから、時間かかってしまった。。。

今回の本紹介は、

Amaozonより

内容紹介
ダーウィンの夢、それは「生物はなぜ多種多様に進化したのか」を明らかにすること――。36億年の生命史を近年の研究成果から辿り、ダーウィンが知り得なかった進化の謎を解く。

内容(「BOOK」データベースより)
主著『種の起源』出版から150年目の2009年、同書を新訳した気鋭のサイエンスライターが、ダーウィンの目を通して38億年の生命史を物語る。150年間で大きく進展した遺伝学・発生学・分子生物学などの成果から分かった新事実を織り交ぜ、地球と生命の誕生から、カンブリア紀の爆発的進化、ヒトの来歴までをたどる。ダーウィンが夢みた「我々はどこから来たのか?」への答えを探る旅。


本来は『種の起源』を読んでいたほうが理解は深まると思うのですが、
そんなに多くの人が読んでいるとは思えないので、
入門書が欲しい、というような方にはいいと思います。

ただ、私自身は先に同書を読んでしまっていたので、
なんとなく物足りない気持ちになりました。笑


私はこの本を読むとき、もっと言えば、
こういった「理系学問系の本」(正確には学術書というには程遠い)を読む時に心がけていることがありまして、
「常に一見関係なさそうな学問分野、現実世界に照らし合わせて考える」というものです。
だいたい1冊につき5つぐらいしっくりくるものが見つかるのですが、
今回もいくつかありました。


・生物に見る科学的真理の適用
ちょうどこの本と同時に読んでいた雑誌にも、同じようなことを感じました。
cf:『Newton 4月号』P5 [粘菌に学ぶ効率的な輸送網]
まだ売っていると思うので、その部分だけ立ち読みすると面白いと思います。

動物界・植物界におけるいわゆる「摂理」は、現実世界においても真理と成り得ることが多いと思います。
Newtonの例はまさにそう。
35億年前から着々と進化(チャールズ・ダーウィンの言う[Modification])してきた生物行動は、
視点を変えると現実世界に既に息づいている、もしくは適用できる。

例えば真正粘菌の習性。
これは最も効率的な鉄道網の構築に非常に影響力をもっています。

そんなことをいくつも感じることができる本でした。


・The Economy of Natureの中でNicheに向かうことでModificationが起きる
なんかルー語みたいになってますが笑、ダーウィンの言葉を借りるとこうなるのです。
ダーウィンの敵でもあり、また知己の仲でもあるリチャード・オーエンはこの説に真っ向勝負を挑んだわけですね。
有名な「自然淘汰説」は言い換えると上記のような言葉になります。

ここから学べることは、目的論的発想と手段論的発想の明らかな差異です。

恐竜という爬虫類は、空を飛ぶために鳥類へとModifyされたのか。
もしくは羽という器官が構築されたことで鳥類へとModifyされたのか。

これは就職活動中の学生にとっては、誰もが考える事ですよね。
仕事は目的なのか、手段なのか、とか。

でもそれよりも遥かにシンプルで、かつ遥かにクリエイティブな考え方が、
生物学(正確には進化発生学)には存在していたことに気づきました。


・現代人にとって大きく欠落したものはCreativityだという再認識
35億年前のシアノバクテリア席巻時代は置いておいて、
数世紀前のC.D.ウォルコット、C.ダーウィン、R.オーエンは、
非常に精巧かつ健美で、また非常に人間的な想像力を持った偉人だと思います。
現代のどんなビジネスマンの本を読んでも、
どんな学者の本を読んでも、
その先見性や斬新さに感銘を受けることはもちろんありますが、
これほどの絶大なる想像力を感じることができたのは初めてでした。

彼らの考えていること、発表することは、全てにおいて魅力的で、
また一方で非常に学術的。
そんな人間は現代に多くはいないと思います。

姜尚中にしろ小宮山宏にしろ原研哉にしろ。

もちろん過去にも多くはなかったと思いますが、
そのレベルの違いを感じました。