Feb 4, 2010

- Question 2 - ”フツウ”であることはつまらないことなのか。

おはようございます。
Yujin.Hです。


トヨタ大変なことになっていますね。
文字通り会社にブレーキかかってますね。




さて、今回は意外と軽いようで、大きな話です。

みなさんが”フツウ”という言葉を聞くと、
どういったイメージをもつでしょうか。

一般的、と変換しますか。
常識、基準と変換しますか。
もしくは起伏のない人生をイメージしますか。
取りとめもないことをイメージしますか。
もしくは政治とカネの関係でしょうか。笑

就活生にとってはどうでしょう。
安定、と解釈されるでしょうか。
はたまた「商社と金融を全般的に志望してます!」みたいな言葉でしょうか。
(気分を害したらゴメンナサイ。笑)


では”フツウ”の対義語はなんでしょう。
変、とか、トンガリ、といったところでしょうか。



世の中で脚光を浴びる人や、称賛される人ってのは
大抵がフツウじゃない人です。
どこかに光る才能や人生をもっています。
Steve Jobs然り。勝間和代然り。南場智子然り。



フツウなんて嫌だ!人間は個性的であるべきだ!

と、いう人もいると思います。
ちっちゃいころから天邪鬼だったり、
とりあえず目立ちたがり屋だったり。
(そもそもフツウ=個性的でない、という図式自体が歪んでいる気もしますが。)
(かくいううちの大学は”個を強くする大学”らしいです。微塵も感じません。笑)



そんな人達へちょっとした疑問。
そしてフツウを求める会社へ、疑問。
フツウじゃないことをモーレツにアピールする人へ、疑問。


平山は、生き方として
フツウじゃないほうが断然楽しいと思う人間です。
起伏あってナンボ。
賭けてナンボ。
トガってナンボ。

かといって平山の思うフツウを否定する気はありません。
フツウがなければ”フツウじゃない”は生まれませんし。
社会にとって必要なポーションだと思います。

また、フツウのことなんてやってられっか!と言ってる人は、
ただのわがままかもしれませんし、自己満足のための天邪鬼を気取っているだけかもしれません。

かく言う平山も高校生ぐらいまではそうでした。
目立ちたがり屋というよりは、どちらかというと天邪鬼で、
とにかく人と違うことがしたい、と思っていました。

ただ大学に入ってからは”フツウじゃない”の質を高めようと思いました。
具体的に言葉に落とし込むとするならば、
”開拓者”です。

平山の考えでは開拓者は以下のように変換されます。


開拓者=天邪鬼×(経験に基づく根拠+分析をもとにした行動+インパクト)+ヒラメキ


就活では一貫してこれをもとに自己紹介をしているのですが、
これが生まれてきた源泉は、アインシュタインと村上春樹でした。

フツウじゃないことが許されないor受け入れられにくい社会において、
平山の思う価値ある人間とは「現代もしくは未来におけるフツウを作る人間」です。
ある意味で”ルール”を作る人間なのかもしれません。
(cf : エンゼルバンク http://morningmanga.com/lineup/30





今回のRE:SOCIOにおけるSOCIOは
「フツウであることを善とするorしてきた日本社会」です。

・物申したい人、意見・批判大歓迎です。

4 comments:

  1. 意見でも批判でもないけど、しゅうかつの波に乗り切れていない学生がひとりごとを残します。

    中島は自分がやってるしゅうかつらしきものが嫌い。
    やりたいこと、主役になりたいもののヒントを見つける努力をする前に当たり障りの無い型に自分を流し込もうとしてる感じがするから。

    人と同じは嫌だって思いながら、同じことをやっていないといけないような強迫観念に駆られる自分がいます。
    普通じゃないことがやりたいっていうか、自分が「これ好き!」って思うことに共感してくれる人が周りに少ないのと、それをやってる場所が上手く見つけられないだけなんだけどね。

    ふつうじゃないことが受け入れられにくくても、
    そんな中でもの申している人が素敵だと思う最近の自分でした。

    みんな違ってみんな良い!そんな社会が良いな。

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  2. 毎度読み逃げするのは惜しいので、確固たる答えでなくとも読んで頭に浮かんできたアイデアのかけらを置いていきます。

    エンゼルバンクのリンクをみて思いついたのは、漫画「ドラゴン桜」でこんなセリフが。「only oneってのは、結局何かの分野でNo.1になったやつのことを言う」んだって。
    ゆーじん言ってた、「ルールをつくる人間が価値ある」っていうのはこれに何かリンクしないかな...
    (結局、Only one 持っている人間っていうのは自分で何かの分野って基準(ルール)を作れる人という見方。それを自己設定して、自覚できてOnly oneが生まれるのではと。)

    "フツウ"を意識させる日本の背景・要因を考えてみた。
    日本は、作ってくれた・既に設定されているルールの範囲内でNo.1を目指す社会的傾向を有している。だからそのルールから外れたアプローチする異端的な存在が受け入れられにくい。暗示的に「文化的共通性=常識、前提」を強く認識している日本にとっては特に、当たり前ってのを受動的に捉えがちに思える。これは、社会変革が一部エリート・外的要因でなされてきた分、市民レベルでの能動的な反応が鈍いって言うのにもかかわってくるかな。

    なんか、いろいろな背景があって日本人は能動的にルール・基準・レジームづくりをしていくきっかけを多く持っていなくて、「和」を大事にすることで満足してそこからの積み上げを怠っているのかな。
    単純に社会がやってこなかっただけで、動けば変わる!なんて楽観的な僕です。(社会はそんなに甘くないだろうがw)


    あ、あと"フツウ"って概念って、結局相対評価だよね。
    自分を評価するにあたって、相対的だけでなく絶対的な視点を持ち合わせる器用さって大事。(でも絶対的な評価は自分で基準作って行かなきゃいけん。これに迷う・戸惑う人がいるのかねー。)
    でも、絶対評価だけだと、自己満足に陥りかねないから、要は両者を意識したうえで「バランス良く...」がいいのかなって無難な回答に落ち着いてしまった。

    と、つらつら書いてみた。

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  3. 前回は無駄に長いコメントを書いたので簡単に。

    個人的な意見としては、「フツウ」ってのは実際には存在しない、幻想だと思います。でも、実のところみんながそれを必要としているから、「フツウ」が語られるのではないのかと。そういう見方が無いと、足下が定まらないのが私達なのかなぁと思います。まぁ、別に日本に限った事でもないのかもしれませんが。

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  4. >なま
    平山にはもはや強迫観念がなくなりました。
    就活始めた当初は少しだけあったけれども、ある点を堺にふと消えました。
    自分の軸が全くぶれなくなった時ですね。
    周りと同じことをしなくても、出会うことはできます。全ては自分の努力と縁だと思います。

    >うすぽん
    「日本は、作ってくれた・既に設定されているルールの範囲内でNo.1を目指す社会的傾向を有している。だからそのルールから外れたアプローチする異端的な存在が受け入れられにくい。」
    これは2005年ぐらいから既に揺らいでいて、その歪みに多くの人が気付いていると思います。
    気付いていないのは就活生ぐらいかもしれない。笑
    企業が本来的に欲するべきは異端であって、それが新しいルールを作っていくんだよね。
    だからトヨタ・ソニー・ソフトバンクは強くなった。
    歴史は証明するものです。

    >Yujiさん
    基準がマチマチという意味では確かに幻想なのかもしれませんね。
    でもその幻想にすがる人間がいる以上、暗黙のうちに存在する価値だと思います。
    足元を定めることに価値を置くならば、ですが。

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