Feb 21, 2010

- Next World 2 - 三国志は繰り返す

こんばんは。Yujinです。

昨日は飲み会が立て続けに3件あって、
すべての飲み会で多めに払っていたら中身なくなりました。笑

後輩と話し、後任者と話し、同期と話し、就活生と話し、大学の友達と話し。
いろんな人と話すことで、自分がどういうことに疑問を感じるのか、
どういうことを考えているのかが、その都度整理されていくことに
非常に楽しみを感じます。

同時に、他人を評価し、自分を評価し、
相対評価と絶対評価を繰り返しながら、
自分の中でなんらかのクライテリアが構築されていくことにも
非常にワクワクします。

逆に言えば凄く客観的で冷めていると見られるかもしれないけど、
温度ってのは大抵話す相手に同調していくので、
その都度違いますよね。





三国志は繰り返す。
別に誰が曹操だとか、誰が孫権だとか言うことではなくて、
ビスマルクの言葉から、思考停止せずに咀嚼し続けて
世界の将来像を想像(妄想)していった、自分なりの結論が
三国志でした。

”3”ていう数字って結構面白くて、
例えば人に整理された事実や考えを伝える時は3つにまとめると綺麗とか、
ハンチントンの分けた世界は3つだったとか、
南北朝時代に最も権威的だったものは3種の神器だったりとか。


たぶん世の中(歴史)の流れって、いつもあまり変わらなくて、
拡散と集束、分散と統合、多極化と一極化(二極化)を繰り返しているように思えます。


例えば教育で言うならば、専門と教養の領域(縄張り)は、
時代とともに変化し続けていて、
いろんな分野が現れるとともに拡散し、
世の中がさらに細分化されていくと、段々と集束していく。

例えばIT業界でいうならば、
ITベンチャーが受託販売からネットサービスへ移行し、
ネット広告事業に乗り出したりして領域分散が進んだ後に、
Googleが広告業界を食い、OSにも手をつけ始めて段々と統合が進んでいく。

例えば国際情勢で言うならば、
国連がなかった頃は真の多極化が実現されていて、
それがまたWWⅡ後(国連設立、機能不全後)に二極化が進み、
また多極化(正確には”多様化”)が進行していく。

例えば元X Japanのhide曰く、
人生は常に拡散と集中の繰り返しで、
その波が何度も来る。
人生の転換期といわれるタイミングは、
まさに波の山(谷)ってこと。




じゃあNext Worldはどうなるんだろうと考えてみると、
現在は多極化・多様化が急激に進んでおり、
統合主体はもちろんいない。
(ある意味では全国家・全企業・全個人が統合主体)

とすると次の波は集束のフェーズに来るわけで、
最も象徴的なのはEUとかASEANかな、と思います。
つまり多極化を統合する地域という枠組みが根づき始めていて
GlobalではなくInter-Nationalな世界が構築されつつありますよね。


じゃあ三国志ってなんだってことなんですが、
たぶんこのまま行くと世界は3分割されるのかなって思っています。

魏(アメリカ・南米の数カ国)←ここは結構不確実性高い。
呉(アジア)
蜀(ヨーロッパ)

という感じで。

もう少しミクロにすると、
例えば呉国(アジア国)の中の日本県、中国県、韓国県といった感じ。
これって結構必然で、アジア国の中で役割分担が非人為的に進むということで、
現状見る限り最大の雇用創出場所、いわば工場としての中国県。インド県もかな。
開発戦略をに強みを見出しその役割を全うする日本県。(正確には東京県)
投資部門としてBSのバランスがいずれ均衡点に行き着く韓国県。


もちろん批判として、政治的にそんな役割分担はあり得ないという意見を持つと思いますが、
これはあくまで”非人為的”いわば”自然的”に成立する世界だからこそ、
政治の力が届かない領域の話なのかな、と思います。



今回はRE:SOCIOってわけじゃなく、
Next Worldの妄想ですね。笑
ただ、すべてにおいて結構ファクトベースな部分が大きいので、
歴史に学ぶならこうなのかな、と思います。

Feb 17, 2010

- Question 4 - 学生団体は社会不適合に陥るのか

こんばんは。Yujin.Hです。
今日はYujinに会いたいという変態な人に会ってきました。
もちろん初対面でしたが、予想通り噂は盛られていました。笑

この時期、就活生は同じ立場の学生に会いたいものなんでしょうね。
かくいうYujinは就活先では営業の気分です。
所属している学生団体の売り込みみたいなことをいまだにやっています。
広報ですね。笑

いろんな社会人に知ってもらうことも大事だし、
いろんな学生に知ってもらうことも大事。
自己成長だけしたいというマインドなら、学生団体ではシナジーは生まれない。
Inter-Activeを求めるのならば、
枠内に留まる意味は全くといっていいほど、ない。




学生団体は社会不適合に陥るのか、ということですが、
Yujinのはじき出した応えは、Yesの可能性が非常に高い、です。

今までいろんな学生団体の代表と会い、
いろんな学生団体を見てきましたが、
”自分たちに何が求められているのか”
”社会は何を求めているのか”
を考えてはいるが、それがアウトプットに繋がっていないことが多くありました。

サークルならば問題はないと思います。
むしろそういうことを考えられているサークルは素晴らしいと思いますが、
学生団体(例えば学生運営のNPO)はそうはいかないはずです。

平成10年に公布された特定非営利活動促進法(通称NPO法)
(cf:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H10/H10HO007.html
がその大きな法的根拠となっていますが、
基本的に法人格をもった学生団体には、それなりの権利があり、
権利があるからこそ義務があります。


ここでの問題は、それら個々の団体が法に定める活動に応えていない、ということではありません。
個々の団体では成し得ない(つまり”できない”)と判断を下さないことにあります。
大きな理念を掲げ、それを目標とすることは大事だと思いますが、
それが現状では達成し得ないと考えたときに、
すぐに内向きになることに問題があると考えます。
つまり他の団体と協力しようと考えず、
全て自らの団体のみで達成しようと考える傾向にある、ということです。


これは現在の私のいる環境(就活)に置き換えても同じことが言えます。

他社に勝って、自分でこれを成し遂げたい。
自分の力でこれを達成したい。
新しいことを、0→1を構築したい。

そういうことを考え、面接で言う学生が増えているようですが、
それは視野が狭い証拠だということです。
既に先陣を切っている企業があるならば、
そこに学び、時には協力関係を結び、相乗的に達成することが社会では当たり前です。
その最たるものはM&Aですが。


学生団体の代表者と会うと、どうもそういう人が多い。
自分で達成したいという意欲は非常に大事だと思いますが、
それで目的が達成できないのならば、法の下に存在する意味は一時的にはありません。
もちろん長期的に達成するというビジョンで応えるのでしょうが、
それで社会は認めるのでしょうか。


自己顕示欲と自己達成欲が高い団体が多いのはなぜなのでしょうか。
もっとBreak Downすると、
1.団体会員全員が組織的達成を至上目標としている
2.そもそも代表者が周りも本質も見えていない
3.苦労することに美徳を感じる

こんなところでしょうか。

断っておくと、全ての学生団体がそうである、とは言いません。
ただ、歴史的にそういう団体が多いというだけです。
(cf:オットー・フォン・ビスマルク
Nur ein Idiot glaubt,aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.
Ich ziehe es vor,aus den Erfahrungen anderer zu lernen,um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ)

そこで、
それら個々の団体を繋ぐネットワークが必要だ、と考える人は多くいます。
ただ、多くの場合それは頓挫します。
なぜならネットワーク構築が目的となってしまっているからです。
その先の機能について深く考えず、思いつきだけで行動する人が多いからだと思います。


今回のSOCIOは社会が見えていない、本質の見えていない学生団体、です。
このままでは日本の学生団体は乱立するだけで、大したインパクトもなく埋もれます。

そこにどういうRE:をするか。
Yujinは早速日本全国津々浦々を回り始めています。
まずはヒアリングから。

Feb 14, 2010

- Next World - 世の中全てがアカウント化される時

こんばんは、Yujin.Hです。

今日はあったかかったですね。
あんま外出てないけどw

最近まわりはESとかWEBテストに忙しいらしんですが、
なぜかYujinは暇です。笑
でも不安がない。なんとななるだろう精神は健在です。



今回は映画SUMMER WARSより。
(cf: http://s-wars.jp/

つい先日落として、見てみました。
最近のアニメは、IT業界志望の人間にはもはや必需かもしれません。

ITの行く末はどうなるのか、
現在世の中からどう見られているのか。

ITの特にネットビジネス、モバイルビジネスについて勉強をしている人にとっては
ITに疎い人とはまた違った見方ができると思います。
ただ、その逆も然り。

そういったビジネスを知らない人にとっても
”将来こういう世の中になるのかもしれない”という刺激にはなると思います。





世の中の全てがアカウント化(アバター化)された場合どうなるのか。
想像しやすいように言うと、
住民基本台帳が、いわゆる現在のSNSみたいな状況下におかれて、
そのアカウントによってビジネスもなにもかも進む、ということです。
もちろん完全なるセキュリティ(そんなものはないが)が前提とされています。


SUMMER WARSを見て思ったのは、
たとえそんな世界になったとしても
REALな接触というのは、誰もが求めるものであって
そこに否定の烙印が押されることはない、ということです。

ここにYujinの将来のビジネスモデルの原型があります。

興味ある人は話しましょう。

将来、一緒にRE:SOCIOしましょう。
友達同士のなれ合いは、今ならば許されると思います。

理念に共感できなければ気持ちよく働けないし、
長続きもしない。

ただ遠くの目標さえ共有できれば、
How toとか目下の目標とかに誤差が生じても、
絶対になんとかなります。


ご興味ある人はお話しましょう。

Feb 10, 2010

- Question 3 - 大学1年で気付いた社会の歪み

こんばんは。
Yujin.Hです。

今日はあったかかったですね。
Yujin.Hは最近楽しく就活をしています。
結局、楽しくないと、決まってからも楽しくないはず。

あと、今日セミナーにいったらある女の子に話しかけられて、
ある人が自分に会いたいと言っているとのこと。
以前その女の子に自分のことをいろいろ話したのですが、
噂が噂を呼び、ちっちゃな世界で有名になってるらしいです。笑
ありがたいことです。本当に。




さて、本日は大学1年生の頃に気付いた、社会の歪みについてです。

キーワードは「細分化」

カテゴリーによってわけられる効率化された世界。
それはどこにでもあるもので、
例えば高校ならば文系と理系。
大学ならば学部。
企業ならば業種とか職種。

もっとも細分化されている世界はおそらく医療ではないでしょうか。



細分化とは効率性や生産性を著しく上げ、
ひいては専門(=スペシャリスト notプロフェッショナル)を作り上げる、
確固たる制度として各界で当然のごとく取り入れられています。
もちろん社会が発展する基盤として多大な効果をもっているとは思いますが、
これは歪みを生むものではないでしょうか。

対岸の火事。
”餅屋”は”餅”のみ。

Inter-Activeな世界に見えない壁を構築し、
教育の世界においては(特に日本のような格差前提のゆとり教育下では)、
自主性のある者のみを褒めたたえる制度と言えなくもないと思います。
もちろんそこがゆとり教育の目的の一つであったことは明々白々ですが、
それがあらゆる業界で現在も息づいていることは、
非常にもったいないことのように思います。


それを壊し、風通しを良くして
世界の幅を拡げる方策を3年間練り続けて、
だんだんと形になりつつあり、近日中に事業計画書を作成する予定です。



現在のSOCIOは細分化の一途を進み、
思考の幅と行動の幅を狭めているように思います。

さて。
どうやってRE:しましょうかね。

Feb 4, 2010

- Question 2 - ”フツウ”であることはつまらないことなのか。

おはようございます。
Yujin.Hです。


トヨタ大変なことになっていますね。
文字通り会社にブレーキかかってますね。




さて、今回は意外と軽いようで、大きな話です。

みなさんが”フツウ”という言葉を聞くと、
どういったイメージをもつでしょうか。

一般的、と変換しますか。
常識、基準と変換しますか。
もしくは起伏のない人生をイメージしますか。
取りとめもないことをイメージしますか。
もしくは政治とカネの関係でしょうか。笑

就活生にとってはどうでしょう。
安定、と解釈されるでしょうか。
はたまた「商社と金融を全般的に志望してます!」みたいな言葉でしょうか。
(気分を害したらゴメンナサイ。笑)


では”フツウ”の対義語はなんでしょう。
変、とか、トンガリ、といったところでしょうか。



世の中で脚光を浴びる人や、称賛される人ってのは
大抵がフツウじゃない人です。
どこかに光る才能や人生をもっています。
Steve Jobs然り。勝間和代然り。南場智子然り。



フツウなんて嫌だ!人間は個性的であるべきだ!

と、いう人もいると思います。
ちっちゃいころから天邪鬼だったり、
とりあえず目立ちたがり屋だったり。
(そもそもフツウ=個性的でない、という図式自体が歪んでいる気もしますが。)
(かくいううちの大学は”個を強くする大学”らしいです。微塵も感じません。笑)



そんな人達へちょっとした疑問。
そしてフツウを求める会社へ、疑問。
フツウじゃないことをモーレツにアピールする人へ、疑問。


平山は、生き方として
フツウじゃないほうが断然楽しいと思う人間です。
起伏あってナンボ。
賭けてナンボ。
トガってナンボ。

かといって平山の思うフツウを否定する気はありません。
フツウがなければ”フツウじゃない”は生まれませんし。
社会にとって必要なポーションだと思います。

また、フツウのことなんてやってられっか!と言ってる人は、
ただのわがままかもしれませんし、自己満足のための天邪鬼を気取っているだけかもしれません。

かく言う平山も高校生ぐらいまではそうでした。
目立ちたがり屋というよりは、どちらかというと天邪鬼で、
とにかく人と違うことがしたい、と思っていました。

ただ大学に入ってからは”フツウじゃない”の質を高めようと思いました。
具体的に言葉に落とし込むとするならば、
”開拓者”です。

平山の考えでは開拓者は以下のように変換されます。


開拓者=天邪鬼×(経験に基づく根拠+分析をもとにした行動+インパクト)+ヒラメキ


就活では一貫してこれをもとに自己紹介をしているのですが、
これが生まれてきた源泉は、アインシュタインと村上春樹でした。

フツウじゃないことが許されないor受け入れられにくい社会において、
平山の思う価値ある人間とは「現代もしくは未来におけるフツウを作る人間」です。
ある意味で”ルール”を作る人間なのかもしれません。
(cf : エンゼルバンク http://morningmanga.com/lineup/30





今回のRE:SOCIOにおけるSOCIOは
「フツウであることを善とするorしてきた日本社会」です。

・物申したい人、意見・批判大歓迎です。